アムール川の     


      明治三十四年第十一回紀念祭寮歌


1、アムール川の流血や    氷りて恨結びけむ
  二十世紀の東洋は     怪雲空にはびこりつ

2、コサック兵の劍戟や    怒りて光散らしけむ
  二十世紀の東洋は     荒浪海に立ちさわぐ

3、滿清既に力盡き      末は魯縞も穿ち得で
  仰ぐは獨り日東の     名も香んばしき秋津洲

4、櫻の匂ひ衰へて      皮相の風の吹きすさび
  清き流を汚しつゝ     沈滞こゝに幾春秋

5、向が岡の健男兒      虚聲偽涙を外にして
  照る日の影を仰ぎつゝ   自治寮たてゝ十一年

6、世紀新に來れども     北京の空は山嵐
  さらば兜の緒をしめて   自治の本領あらわさむ

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参考)「勝ったがえゝ、勝ったがえゝ、勝った方がえゝ!!」
 応援エール。 應援歌・部歌の最後には、このエールを付け加える。
  この「勝った方がえゝ」の応援エールについて、少し長いが、安倍能成「我が生ひ立ち」から、その誕生エピソードを紹介しておこう。

 「(
山上岩二は)寡言無愛想な男だが、好んで詩を読むといふ風懐を持って居た。 魚住が『試合の勝敗何の我々の人生に関係がある』と放言したのに対する抗議かと 思ふが、彼は対抗競技の時、『勝った方がえゝ』と連呼し、それが長く一高応援隊の叫声 となった。しかも、「えゝ」といふ岡山的アクセントまでもそのまま伝へられた。」  山上は、柔道部の選手で、岡山の出身のようですね。明治37,8年頃から今日まで 連綿とこの叫び声は伝わっているわけです。