BGMは、静岡高寮歌「秋深み行く」

彼岸花
権現堂、巾着田、葛城古道、清水寺、旧谷中村廃寺跡の彼岸花

彼岸花は、村人が野に行き倒れた名もなき人に手向けたり、墓場に植える「死人花」(しびとばな)であった。昔は、公園に植えたり、まして自宅に植えて観賞する花ではなかったように思う。それがいつの間にか、観賞花となり、秋ともなれば、彼岸花を愛でようと大勢の観光客が”彼岸花の名所”に押し寄せるようになった。
1、権現堂堤の彼岸花(上から1番目の写真)
  埼玉県幸手にあり、桜と菜の花の名所でもある(私のホームページ「花と鳥と古寺巡礼」の「花ー桜」で紹介)。三遊亭円朝作の落語、歌舞伎で名高い「怪談牡丹灯籠ー幸手堤の場」の堤で、利根川水系の権現川右岸にある(権現川は、江戸時代以来の河川改修工事で姿を変え、現在は行幸湖という調整池となっている)。秋、堤の斜面を真っ赤な彼岸花の絨毯が敷き詰める。幸手の料亭「ささや」の酌婦に狂った亭主伝蔵の手にかかって、この堤で無念にも刺殺された女房お峰や、人柱として築堤工事の犠牲となった順礼母娘の霊安らかと祈りながら、1キロに及ぶ権現堤を散策してみましょう。
2、巾着田の彼岸花(上から2番目の写真)
  埼玉県日高市を流れる高麗川が大きく蛇行し、巾着の形をとる高麗本郷・巾着田は、日本有数の彼岸花の群生地である。この地は、今から約1300年前、関東各地に居住させられていた高句麗の遺臣達1799人が遷され、高麗郡が置かれたところである。真っ赤な彼岸花は、戦い破れ二度と故国の土を踏むことの出来なかった彼ら渡来人の魂を弔うかのように林間の光に映えている。
3、葛城古道の彼岸花(上から3番目の写真)
  葛城古道は、当麻を起点として葛城山の東麓を二上、葛城、金剛と南下する古代の道である。沿道には古代の豪族葛城氏・鴨氏ゆかりの神社や史跡が多く残って、もう一つの山の辺の道といわれている。澄み切った青い空には白い雲が浮び、田圃には黄金の稲穂が垂れる長閑な田園風景を彩って、そこかしこに真っ赤な彼岸花が群れ咲いていたのが、今も印象に残っている(「葛城古道」は、私のホームページ「花と鳥と古寺巡礼」の「古道を歩く」で紹介)。
4、清水寺舞台下の彼岸花(上から4番目の写真)
 「清水の舞台から飛び降りる」と言うことばで有名な京都清水寺。修学旅行生や一般の観光客でごった返す崖造りの舞台下には、あちこちに小さな石仏が無造作に置かれ、秋、彼岸花がひっそりと咲く。雑踏の中、たまゆらの休息場所である。
5、渡良瀬遊水池・旧谷中村跡の彼岸花(一番下の写真)
 渡良瀬遊水池の一角に旧谷中村跡地が史跡として保存されている。明治の頃、足尾銅山の鉱毒を沈殿させ無害化するため、谷中村を含む広大な地(栃木・群馬・茨城・埼玉の四県にまたがる)に遊水池が造成されることになり、そのために全村が強制的に退去させられ廃村となった。村の寺であった廃寺延命院の共同墓地には、秋、傾きうち捨てられた墓石を守るかのように彼岸花が墓地一面に咲く。  

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