日本五大桜・狩宿の下馬桜
源頼朝が鎌倉幕府を開いた翌年1193年、富士の裾野で巻狩りを催した。曽我五郎・十郎の兄弟が親の仇工藤祐経を討取った有名な仇討があったのは、この時の巻狩りであったのではないかと思う。その巻狩りの際、頼朝が陣屋に戻り、馬を繋いだといわれる桜の名木が、後に日本五大桜の一つとなった。すなわち、狩宿の「下馬桜」(別名「駒止の桜」)である。 私が身延線の富士宮駅からバスに乗って、この狩宿の下馬桜を訪ねてから、早や12年が経った。最近では、花の時期、この桜の開花がニュースとなって全国に伝えられると、桜の名所大石寺と滝の白糸のちょうど中間に位置する場所柄もあってか、多くの人がこの桜を見ようと押し寄せる。しかし、当時は、満開だというのに、見物者は私ぐらいであった。下馬桜の附近一帯は、だだっ広い富士の裾野の殺風景な田園であったが、今は下馬桜の北側一帯の田んぼには菜の花畑が整備され、雄大な富士が、その菜の花畑に浮んで眺められる絶景となっているという。是非、もう一度、この赤芽のシロヤマザクラを見たいものと思っていた。 平成25年4月8日、満開の花だよりが伝わるや逸る心を抑えがたく、マイカーを運転して中央道から河口湖経由で、狩宿の下馬桜に会いに行ってきた。写真は、その時に撮影したものである。北側一帯に広がる菜の花畑こそ見られなかったが、頼朝巻狩の本陣跡に建つ井出家の高麗門側に少々菜の花が植えられていた。その菜の花の向うには、万古白雪を頂く富士の峰が雲一つない紺碧の空に八面玲瓏として聳えていた。 「狩宿の下馬桜」や「日本五大桜」については、私のホームページ「花と鳥と古寺巡礼」の「花ー桜」のページに説明があります。 |
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