置賜さくら廻廊 釜の越桜
山形県の置賜地方には桜の古木が多く、「置賜さくら廻廊」と呼ばれている。その中でも人気が高いのが、「釜の越桜」である。「釜の越」とは、この地の古名である(現在は白鷹町大字高玉)。後三年の役で八幡太郎義家が、この地の西方の山”三面峰”に居陣した時、樹下の三個の石でかまどを築き兵糧を焚いたという。「釜の越」という地名は、この伝説に基く。「吹く風をなこそ(勿来)の関と思へども 道もせに散る山桜かな」(千載集)とこよなく桜を愛した義家は、前九年の役・後三年の役とうち続く陸奥の戦いの合間に、「花は桜木 人は武士」と、この桜に一時の安らぎを感じたことであろう。 この桜はエドヒガンで、樹齢は800年と云われている。樹勢の挽回を図るためであろうか、無残にも主な太枝や幹の上部は切断されており、その姿は一見、沙漠にそそり立つ巨大なサボテンのようである。そのお蔭か、各幹の途中からは、小枝が芽生え、わずかに花を付けているが、いかにも弱々しい。それでも人気が高いのは、残雪残る陸奥の地に、800年の間、春を告げようと必死に花を咲かせてきた古木の姿に感動するものがあるからであろう。 4年前にツアーで訪れた時は、残念ながら蕾であった。今回は、インターネットで天候と開花情報を確かめ、ゴールデンウィークで混雑激しい東北道の往復650キロの道程を自ら車を運転して訪ねた。写真は平成25年4月29日に撮影したものである。上部の枝の桜は咲いていないが、この状態で満開、見ごろということであった。釜の越桜の右側には、釜の越桜の実種を蒔いて育てた「勝彌桜」(樹齢70年)が満開であった。往時の姿は、この勝彌桜の見事な咲き様に偲ぶことができよう。後方の残雪残る山は、「葉山」という山である。 (この桜は、今は亡き一高四方先輩から「一度見てこい」と勧められたものである。) |
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